風呂は毎日わかしていたし、このくどでタケノコをゆでたり、飯を炊いたりする手伝いもしていた。既に当時、ふつうの家にくどや五右衛門風呂は珍しく、おそらく、同年代ではもっとも多く薪を燃やした経験を持っているのではないか。
料理は父親も好きだったから、自然と何やかや作るようになった。最初はインスタントラーメンだったが、それでも野菜を炒めて入れたり、卵とじにしたりと、ひと手間かけることに生きがいを見いだしていた。学生時代は下宿で日常的に料理をするようになった。
元々キャンプは好きだったが、野外料理にはまるきっかけは、10年ほど前に燻製を始めてから。そして、1998年から4年間、転勤で庄原市の勤務を経験したこと。当時、住んでいた家は140坪!しかも周囲は山に囲まれた絶好のフィールドで、外めしの修行にぴったりだった。このブログに書いていることの大半は、庄原の経験があればこそだ。